ヨハン・シュトラウス2世「こうもり」
概要
『こうもり』(独: Die Fledermaus) は、ヨハン・シュトラウス2世が1874年に作曲したオペレッタです。初演は同年、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で行われました。ちなみに同劇場での初演作品はベートーヴェンの交響曲第3番、第5番、第6番やミュージカルの『エリザベート』などがあげられます。
一応台本には謝肉祭の時期と書かれているのですが、現在では大晦日と言うことになっており、ドイツ語圏の歌劇場(特にウィーン国立歌劇場) で大晦日恒例の演目となっています。ちなみにウィーン国立歌劇場ではメンバーが分かれて、それぞれ大晦日の『こうもり』と年始のウィーンフィルのニューイヤーコンサートに従事します。
ヨハン・シュトラウス2世といえば代表作としては『美しき青きドナウ』、『皇帝円舞曲』、『トリッチ・トラッチ・ポルカ』、『ジプシー男爵』などがあげられます。大半はワルツやポルカではあったものの一生で500曲弱を作曲し、「ワルツ王」や「ウィーンの太陽」と呼ばれました。
このオペレッタは3幕からなり、楽器編成は通常の2管編成に小太鼓、大太鼓、鐘などの打楽器を加えた編成からなります。演奏時間は全部で2時間半程度ですが、アドリブのセリフや比較的自由な音楽の挿入、指揮者や演出家の判断による省略によって多少前後します。
登場人物はソロパートだけで8人、それにセリフ持ちが2人、さらにモブが数十人ととても多いと言えるでしょう。詳しくは後ほど触れたいと思います。
オペレッタって?
オペレッタは日本語で喜歌劇と書かれ、字の表す通りコメディのオペラと認識してほとんど問題はないでしょう。なおオペラはほとんどが歌や音楽で進行するのに対し、オペレッタではセリフの割合が増えており、セリフのみで進行する場面もあります。なので、オペラよりも親しみやすく予習なしでもわかりやすいと言えるでしょう。さらに、他の曲を挿入することもあり、『こうもり』だと同じシュトラウス家のポルカなどが挿入されることが多いです。
『こうもり』以外のオペレッタの代表作としては、オッフェンバックの『天国と地獄』やレハールの『メリー・ウィドウ』が挙げられます。
登場人物
アイゼンシュタイン男爵
主人公。お金持ちの新興銀行家。
昔酔いつぶれたファルケ博士を道端に置き去りにした過去がある。
数々の女性を誘惑したという曰く付きの時計を持っている。
劇中では公務員を侮辱した罪で刑務所に数日間入る予定。
舞踏会ではフランスの大富豪ルナールに扮する。
ロザリンデ
アイゼンシュタインの妻。アルフレードは元カレ。
舞踏会では仮面をつけてハンガリーから来た伯爵夫人(赤髪)に扮する。
アデーレ
アイゼンシュタイン家の小間使い。妹がいる。
舞踏会への招待を妹から受け取り、どうしても行きたいので叔母の病気をでっち上げ、新人女優オルガに扮する。
舞踏会に行くためにロザリンデのドレスを無断で拝借。
アルフレード
オペラ歌手(声楽教師)。ロザリンデの元カレ。劇中では誤認逮捕される。
監獄内でも大きな声で歌うくらいに歌が好きらしい。
ブリント
アイゼンシュタインの弁護士。
どうやら無能らしい。カツラ。めっちゃ噛む。
ファルケ博士
アイゼンシュタインの旧友。
アイゼンシュタインに置き去りにされた時にこうもりの仮装をしていたので「こうもり博士」とあだ名がついており、いつか仕返しをしたいと考えている。
フランク
刑務所長。舞踏会ではフランス人シャヴァリエ・シャグランに扮する。(シャヴァリエはフランス語で騎士)
フランス人同士としてカタコトのフランス語でアイゼンシュタインと会話させられる場面も。
オルロフスキー公爵
ロシアの公爵。ウォッカが好きらしい。遊び人。
いわゆる「ズボン役」で、ほとんどの場合女性が男装をして演じる。2001年のザルツブルク音楽祭では薬物中毒のとんでもない役柄に…。
イーダ
アデーレの妹(姉の場合もある)。踊り子。
歌が与えられる場合とセリフのみの場合がある。
フロッシュ
フランクの部下で看守。お酒大好き。歌はなくセリフだけ。
獄中でのアルフレード、フランク、ブリントなどとのやり取りは必見。
あらすじ
第1幕
新興銀行家のアイゼンシュタインは公務員を侮辱した罪で5日間の禁固刑を言い渡され、そこにブリントの下手な弁護が相俟って8日間に伸びてしまいます。さらに、ロザリンデの元カレであるアルフレードはアイゼンシュタインが留守の間に逢引しようと企んでいます。
そんな中ファルケ博士からアイゼンシュタインへ舞踏会のお誘いが。すっかり乗り気になったアイゼンシュタインは礼服で刑務所に行こうとし、そこで何かお楽しみをすることを察したロザリンデは、アデーレに暇を出して自分も楽しもうと考えます。 二人を見送ったロザリンデの元にアルフレードが現れ、あたかも夫のように振舞いますがそこに刑務所からお迎えが来ます。まさか浮気相手だなんて言えないロザリンデはアルフレードを夫として仕立て上げ、アルフレードは身代わりとして刑務所に連れて行かれます。
第2幕
華やかな舞踏会が行われているオルロフスキー邸。何か面白いことをオルロフスキー公爵から要求されたファルケ博士は”こうもりの復讐”が行われると言います。ロザリンデのドレスを身にまとった自称女優のアデーレを見てアイゼンシュタインはうちの小間使いではないか?と疑いますが、アデーレはこんな美しい女が小間使いな訳はないとからかい、アイゼンシュタインは皆の笑い者になってしまいます。そこに刑務所長フランク扮するシャヴァリエ・シャグランが現れ、アイゼンシュタインとめちゃくちゃなフランス語で会話をします。
少し遅れて舞踏会に到着したロザリンデは夫が刑務所に行かずに遊んでいることに腹を立て、彼をとっちめることを決意します。アイゼンシュタインはその一方でロザリンデ扮するハンガリーの伯爵夫人の正体に気がつかず、自慢の懐中時計で口説き始めますが、逆に時計を奪われてしまいます。舞踏会参加者達はずっと仮面を付けているロザリンデが本当にハンガリー出身なのか疑問に思い、その疑惑にこたえるためにロザリンデはチャルダッシュを歌います。
場面は変わって宴会の場面。ファルケ博士とアイゼンシュタインが「こうもり博士」と呼ばれるようになった所以を笑い話として語り、その話が終わると「シャンパンの歌」が歌われます。宴会後は踊りの時間で、ここで挿入されるポルカやワルツは指揮者によります。やがて盛り上がり有名なワルツになりますが、鐘が6回鳴って時間を知らせると、アイゼンシュタインとフランクは大慌てで帰ります。
第3幕
第3幕は刑務所内でのフロッシュとアルフレードのコントのようなやり取りで幕を開けます。やがてフランクが帰ってくるとこれまた愉快なやり取りをします。するとアデーレとイーダが登場。アデーレが本物の女優になるための手助けをフランクに頼みに来ます。そこにアイゼンシュタインが来たと言うので二人は急いで隠れます。監獄で再会するフランクとアイゼンシュタインですが、すでに自称アイゼンシュタインは牢に入っており、フランクは困惑します。
応援としてやってきた弁護士ブリント。アイゼンシュタインは自分の妻とその元カレの様子を伺うためにブリントに扮することに。しかしだんだんと話を聞くうちに我慢できずに本来の服装に戻って懲らしめようとするアイゼンシュタイン。そこでロザリンデが昨日アイゼンシュタインから奪い取った浮気の証拠となる懐中時計を取り出し形勢逆転します。
そしてファルケ博士をはじめとして昨晩の舞踏会の登場人物が全員顔を揃え、ファルケ博士からネタバラシがされます。全ては彼の仕組んだ復讐劇だったのです。アイゼンシュタインはロザリンデに謝罪し、ロザリンデも全てはシャンパンのせい、と水に流して大団円となります。
今回扱う抜粋
序曲
この序曲は単体で演奏されることもあるほど有名なもので、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?ちなみにトムとジェリーの「星空の音楽会」というエピソードでも使われたことがあります。
曲は楽しい序奏(譜例1)で始まり、あたかもこれから始まる楽しい復讐劇を予感させるかのようです。続くのはオーボエの物哀しげなメロディー(譜例2)で、これは第3幕の終盤で弁護士に扮したアイゼンシュタインがロザリンデとアルフレードを「そうだ、お前達に裏切られた男だ」と糾弾するシーンのものです
譜例1
譜例2
しばらくすると鐘が6回鳴りますが、これは第2幕のフィナーレで朝6時だからもう帰らなきゃ! と大慌てで帰るシーンから来ています。それに続いてネタバラシの時のメロディー(譜例3)がヴァイオリンによって奏でられます。やがて第2幕終盤の軽やかなウインナ・ワルツ(譜例4)となります。それが落ち着くとオーボエによって、第1幕中盤での三重唱でロザリンデが「私はあなたなしで8日間も過ごさなければならないのね」と歌う、哀愁漂うメロディー(譜例5)が現れます。
ネタバラシのメロディー、そしてウインナ・ワルツが再現されるとコーダに入り、華やかに盛り上がって曲は終わります。
譜例3
譜例4
譜例5
第1幕:三重唱「一人になってしまうのね」
この三重唱は第1幕のアデーレとアイゼンシュタインが出かけるシーンで歌われます。
収監されるためお互い会えないのを嘆くアイゼンシュタインとロザリンデ、そして叔母の看病のために家を離れければならず、さらにその二人を見て目頭を押さえるアデーレ…のはずなのですが…
実際は、ファルケ博士と一緒に舞踏会に行くアイゼンシュタイン、元カレと逢瀬をする予定のロザリンデ、そしてイーダからもらった招待状(本当はファルケ博士の偽手紙)にウキウキして舞踏会に行くはずのアデーレ。それぞれの思惑が交錯する三重唱となっています。
曲はロザリンデによって「ひとりで8日も暮らさなければならない」と、序曲の譜例5のメロディーで歌われるところから始まります。そこからしばらく「朝の挨拶もできずに黒い苦いコーヒーを飲むなんて!」なんて言ってみたり、「ああどうしたらいいの!」と嘆きますが、だんだんと今夜のお楽しみに想いを馳せ、ステップを踏み出して踊り出してしまいます。しかしそれではいけない!と我に返る3人は再び悲しみモードに。今度は「昼食を一人で食べるなんて虚しいし夜になると苦しみと悲しみが増すばかり!」なんて歌ってみるのですが、やっぱり本心は隠せず、踊り出してしまいます。最後は、「再びまた会えるさ!」とどこか大げさに励ましあったのちに、またまた踊り出して(3回目!) ウキウキしながら大急ぎで出かけていきます。
第2幕:クープレ「侯爵様、あなたのようなお方には」
第2幕の舞踏会のシーンで、アデーレ扮する自称女優のオルガを見て「うちの小間使いのそっくりだ!」と驚くアイゼンシュタイン(実際に本物の小間使いなんですけどね…)。そしてシラを切って、逆に「こんな細くて美しい姿が小間使いに見えて?」とアイゼンシュタインをやり込めるアデーレ。本来貴族の社交界である場に身分が低い小間使いなんかがいるはずないので、この失礼な言動を咎められたアイゼンシュタインは皆の笑い者になってしまいます。このアリアはオペレッタ内でのアデーレの見せ所の一つであり、コロトゥーラという技巧的なパッセージも見られます。端的に言うとアデーレは2回アイゼンシュタインのことを馬鹿にするわけですが、それぞれが終わるたびに合唱でハッハッハと合いの手的な笑い声が入ります。
第2幕:二重唱「あの上品な態度」
ハンガリーからやってきた、仮面を被ってどこかミステリアスな雰囲気の伯爵夫人と出会ったアイゼンシュタイン。彼はまさかその正体が自分の妻だとは思わずに口説き始めます。一方でロザリンデは刑務所に行ったはずの夫を舞踏会で発見し、何か決定的な証拠をつかんでやろうと考えています。交錯する二人の思惑…。アイゼンシュタインは懐中時計を使って数々の女性を口説いてきたため、今回も同じやり方で口説こうとします。しかしロザリンデからすると夫なので当然恋に落ちるはずもなく、アイゼンシュタインは時計を奪われてしまいます。そんな二人の押したり引いたりの口説くためのやりとりが詰まった二重唱となっています。
フルートとオーボエで軽やかな序奏が奏でられると、アイゼンシュタインが「彼女が許してくれるのなら口づけをしてみたい」と言いますがそれに対してロザリンデは「こんなことを言っている夫にはお仕置きしてやろう」と独り言を言います。そんなことを知る由もないアイゼンシュタインはさらに「仮面を取って素顔を見せてくれませんか?」なって調子良く口説き続けますが、ロザリンデは内心でお仕置きしてやろうと思いながら軽くあしらいます。いやよいやよも好きのうちと思い本格的に口説きにかかるアイゼンシュタイン。彼は必殺(?) 兵器の懐中時計を取り出します。ロザリンデの「ああなんだか鼓動が早くなってきたわ」と言う言葉に対してアイゼンシュタインは「それは恋の始まりの鼓動さ!」と返し、そして互いに心臓の鼓動の数を数え合う流れになります。ロザリンデが「5、6、7、9…」と数えると「7の次は8さ!」と訂正するコミカルな部分も挟みながら再び数え直し、今度はどんどん鼓動が早くなるので「まるでギャロップだ!50万!」なんてことも言ってみたり。そんなこんなでロザリンデはアイゼンシュタインの懐中時計を取ってしまい、アイゼンシュタインは口説くのを失敗した挙句に時計まで取られたことを悔しがりながら曲が終わります。
第2幕:チャルダッシュ「故郷の歌を聴けば」
前項の口説かれる場面の直後、舞踏会参加者から物珍しい目で見られるハンガリーの伯爵夫人(ロザリンデ)。ずっと仮面をつけているので素顔を見せてくれと言われ、さらにアデーレが「本当はハンガリー人ではないのでは?」と疑います。ロザリンデはそれに対して「音楽で証明できる!」とハンガリーのダンス音楽であるチャルダッシュを歌います。ちなみにチャルダッシュは19世紀のウィーンをはじめとするヨーロッパ諸国で大流行しており、禁止令が一時出たほどでした。なので、当時作曲されたオペラや器楽曲ではチャルダッシュが見られることがあります。それを見事に歌い上げたロザリンデをハンガリー人ではないと疑う参加者はもういませんでした。
チャルダッシュは全体として2部に分かれ、前半はゆっくりなラッセン、そして後半は早いフリスカからなります。前半はトランペットの特徴的な付点音符のリズムで始まり、ロザリンデが「故郷の響き…それは私の中の郷愁を目覚めさせる」と歌い上げます。後半は「踊ろう!チャルダッシュの響き!」と2/4拍子で快活に音楽が進みます。
第3幕:クープレ「田舎出の無邪気な娘をやるときは」
舞踏会が終わり、酔いも覚めた翌朝。本格的に女優になりたいアデーレは妹を引き連れて刑務所長フランクの元へパトロンになってくれるように援助のお願いをしに行きます。そこでフランクに自分の演技の腕前を見せつけるためにそれぞれ田舎者の娘、女王様、パリの貴婦人になったときの演技をし、その腕前はフランクを納得させ、彼は援助を確約します。そんなお芝居のコツ(?) を歌っているわけですが、アデーレ役のソプラノ歌手は1つの歌で3人分の演じ分けをしなければならず、それこそ歌手の腕が試されるアリアとなっています。
曲はまずアデーレが田舎娘になるときはどうするかで始まります。「短いスカートで可愛くリスのようにはしゃぎ回ったり、素敵な若者と草原に座り一緒に座ると良い」と歌い、「この才能で女優にならないのは惜しいでしょう?」とアピールをすると、次に女王様のときはどうするかを行進曲調に歌い上げます。「厳かに歩き、会釈をする、立派な微笑みで国を治める女王様」らしいです。再び「この才能逃すのは惜しいでしょう?」とアピールすると、パリの貴婦人を演じるときはどうするかに移ります。「侯爵の奥様だけど若い伯爵に言い寄られてしまい、それが夫に見つかるが『許して』と泣きながら言って許してもらう」と歌われるのですがどこかドロドロ系昼ドラみたいですね…。まあそんなわけで演技の才能をフランクに見せつけるアデーレによる素晴らしいアリアです。
参考文献
- オペラ対訳プロジェクト Die Fledermaus
- 最新名曲解説全集19 歌劇II 音楽之友社
- オペレッタ名作百科 永竹由幸 音楽之友社
- オペラ101物語 新書館
(文責: Vn.3 M.S., 挿絵:Vn.4 M.T.)