ワセオケ クラシック風説書:vol.3
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』
「ボナパルト交響曲」
この交響曲は、誰もが知る偉人ナポレオンとの関係が深い作品として知られています。
ベートーヴェンは1789年のフランス革命にたいへん熱狂しました。封建社会が終わり市民中心の社会が生まれたように、音楽にも新時代が到来する。そう考えた彼は、「お上の注文通りに曲を作る」従来の職人気質の音楽家ではなく、「自分が作りたいものを作る」フリーランスの芸術家として生きることを志します。
そんな中登場したのがナポレオン・ボナパルト。革命後の動乱を収拾し、「自由」「平等」という革命の理念をヨーロッパ中に拡げようと力を尽くしました。彼の活躍に感銘を受けたベートーヴェンは、「ボナパルト」と題する交響曲を作曲してそれをナポレオンに献呈しようと思い立ったのです。こうした経緯で、1802年の夏に曲を書き始め03年に完成しました。
左:ベートーヴェンのミニポートレート(クリスティアン・ホルネマン作、1802年) 。彼にしては珍しいエレガントな服装、流行の短髪が特徴的だ。右:ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)。1歳年下のベートーヴェンは、数々の偉業を成し遂げた彼に心酔した。
期待から失望へ……
ところが翌04年、ナポレオンが自ら皇帝に即位してしまったのです。その知らせを聞いたベートーヴェンは「あいつは今に暴君になるのだ!」と激怒し、書き上げた自筆の総譜の表紙にあったナポレオンの名をペンでかき消してしまいました(曲そのものは変更せず)。結局彼への献呈や題名は幻と消え、『シンフォニア・エロイカ』(英雄的な交響曲)と改題され、「ある英雄の思い出のために」と表紙に新しく書き加えられて1806年に出版されました。ちなみに「ある英雄」とは誰のことなのか、ベートーヴェン本人が言及することなく世を去ったため、現在でも分かっていません。
交響曲第3番の自筆総譜の表紙(ウィーン楽友協会蔵)。穴が開くほど激しく消した跡が見える。
記念碑的な傑作
この作品は、約50分という長大な演奏時間をはじめ、多くの面で当時の常識を覆し、オーケストラによる表現を発達させた音楽史上の転換点として位置づけることができ、非常に高い評価と人気を誇っています。またベートーヴェンにとっても転機となった曲で、ここから独自路線を歩み後の時代の礎となる様式の完成へと向かうことになります。
史上初の試み
その信じられないほどの飛躍は、各楽章に見られます。
力強い和音で始まる第1楽章では、ソナタ形式(とりわけ展開部とコーダ)を拡張し、主題や動機を何度も活用することで、全体に統一感を与え「英雄」にふさわしい勇壮かつ雄大な音楽を絶妙に表現しています。
第2楽章では、交響曲の父ハイドン以来の伝統である歌曲風の緩徐楽章を採用せず、初めて「葬送行進曲」が用いられました。フーガによる荘厳な音楽が第1楽章のそれと見事に対比されています。
第3楽章では、一転して陽気な音楽であるスケルツォが使われています。また、トリオ(中間部)にトリオ(ホルンの三重奏)をトリ入れる、という斬新かつ洒落た発想もベートーヴェンならではのものです。ホルンの編成は通常2本や4本ですが、3本はきわめて特殊です。
第4楽章では変奏曲という前例にない形式をとっており、終楽章はソナタ形式あるいはロンド形式であるという従来の様式から逸脱しています。ここでの主題は自作『プロメテウスの創造物』作品43の終曲から取られています。聴いてみるとすぐに分かります。主にフーガの技法が駆使され、曲中に次から次へと新しい音楽が生まれてきます。コーダでは「英雄」の勝利の如く激しい盛り上がりを見せ、堂々と締め括られます。
このように、作曲技法・構成・曲想・楽器編成など、どこを取っても非常に画期的な作品として出来上がっており、今でも色褪せることのない屈指の名曲であることは間違いありません。フランス革命から十数年、ベートーヴェンは音楽で革命を起こしたのです。
おすすめ音源&映像
映像:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1982 Live)(ベルリン・フィル創立100周年記念コンサート)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07QQHM5SK/
音源:ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1993)
Spotify: (トラック番号5-8)
https://open.spotify.com/album/6xRQXlfwRop7SigEMjxK6n?si=oqs6aN15QMyBN39gb0aXRg
Apple Music: (トラック番号5-8)
https://music.apple.com/jp/album/beethoven-symphonies-nos-1-2-3-eroica-8/735044262
(Pc.3 鈴木健士郎)