チャイコフスキー/交響曲第4番
概要
1878年に作曲されたこの作品は、チャイコフスキー4番目の交響曲です。この作品はチャイコフスキーの後期交響曲の始まりであるとともに、全7作ある交響曲の中で最も情動的な作品です。それもそのはずで、内実としては、チャイコフスキーが感じたさまざまな苦難が直接的に表出したものなのです。実際にその証拠として、弟子の作曲家であるタネーエフに以下のように書き送っています。
『第4交響曲』の1つの小節といえども、私が真に感じたものを表していないものはなく、また私の心の秘奥を反映していないものはない。
この言葉の真の意味を理解するためには、1877年にチャイコフスキーに何があったかを知る必要があるでしょう。同年、彼はアントニーナ・ミリューコヴァという女性と結婚します。なお、そのきっかけは面識すらなかったミリューコヴァからの
あなたの恋に自殺したいほどです。すぐにでもおいでください。
という手紙であり、その結果として2ヶ月ほどで押し切られた形で挙式します。しかし結婚生活は上手くいかず、1ヶ月と経たないうちに別居してしまいます。その後しばらくして再度同棲を始めるのですが、2週間後にチャイコフスキーはモスクワ川で凍死を企てているところを発見されます。結局結婚から2ヶ月ほどでチャイコフスキーは逃げるようにヨーロッパへと旅立ち、その後ミリューコヴァと会うことはありませんでした。
このような心身共に不安定な状況の中で交響曲第4番は作曲されています。ベートーヴェンの交響曲第5番にヒントを得たと述べていることを含め、運命との闘争が描かれていることは間違い無いでしょう。
ちなみにチャイコフスキーはこのヨーロッパへの旅立ちから10年間ほど各地を転々としており、その間には(マンフレッド交響曲を除き)交響曲を作曲していません。一般的に後期の交響曲として第4番から第6番までの3作品をひとまとめにしますが、第4番が第5番と第6番に比べて未熟な印象も受けるのはこの年代のギャップも要因の1つでしょう。
チャイコフスキーの交響曲
前述の通り、チャイコフスキーの交響曲は2つの区分に分けられます。前期交響曲は主に民族的な旋律を用いており、いわゆる「国民楽派」的なきらいが垣間見えるとも言えるでしょう。一方で、第4番以降の3曲に関してはその限りではなく、ヨーロッパで培われた伝統的な様式の尊重が見られます。結果として、ドイツ音楽でよく言われる「構築感」に抒情性を加え、構成的に崩れることもないながらドラマチックな交響曲として統一されています。なお彼は、その形式を念頭に置いて作曲していた一方で、この形式には大変悩まされていました。現に下記のように心情を手紙で吐露しています。
私は音楽における形式を把握し、操作することに対する自分の非力に、生涯悩まされてきました。私はこの生来の弱点を克服するために努力しましたし、かなり成果を上げたことを誇りを持って言うことができます。しかし私は形式において真に完全なものを作ることなく墓場に行くことになるでしょう。私の書くものは常に蛇足の集積であり、有識者が見れば、すぐにカラクリはわかってしまうでしょうが、私はそれをどうすることもできません。
さて、後期の3作品+マンフレッド交響曲に目を向けると、「循環」はそれらの作品の大きなテーマとなっていることがわかります。例えば交響曲第4番では第1楽章冒頭のファンファーレが、第4楽章の終盤で登場します。この登場により、作品のテーマに一貫性を持たせているのです。次に作曲されたマンフレッド交響曲では、各登場人物を表す主題であるライトモチーフが用いられ、随所でモチーフが登場します。交響曲第5番では第1楽章冒頭の運命の動機が各楽章で顔を出し、循環動機として機能しています。最後に交響曲第6番では、第1楽章の序奏での音形(E-Fis-G)がこれまた循環的に登場し、これも同じく循環動機として機能しています。このように、年代を追うに連れてコンセプトの変遷を明確に見ることができ、この交響曲第4番はその流れの起首となる作品となっています。
チャイコフスキーとフォン・メック夫人
作曲家が活動をするにあたって最も悩みの種となるのはやはり金銭面です。例えばグスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウスは指揮者としての「主収入」を得た上で作曲活動を行っていました。このような主収入がなければ、作曲をした上で得たわずかな収入で細々と生活するはめになってしまいます。そこで登場するのが芸術家の後援者であるパトロンです。例えばハイドンは貴族お抱えの作曲家として数多くの作品を作曲しましたし、ワーグナーはバイエルン国王と蜜月の関係にあったそうです。チャイコフスキーも例外ではなく、パトロンが存在しました。ナデージダ・フォン・メック夫人という9歳年上の未亡人です。交響曲第4番が献呈された相手でもあります。奇しくもチャイコフスキーとフォン・メック夫人が出会ったのは彼の結婚の失敗があった半年ほど前でした。
一般的にパトロンと芸術家の関係と言うと、やはり対面で依頼を受け、パトロンに作品を献呈し、時には不倫関係になる場合もあるといったイメージがあると思います。なお、このようなイメージに反し、チャイコフスキーとフォン・メック夫人は生涯で一度も顔を合わせることはありませんでした。毎月500ルーブル(現代の125万円程度と思われる)を提供し、夥しい数の文通を行っていたにもかかわらずです。なおこの夫人との手紙は、ある意味「良き友」への心中を吐露した私信のようなものであり、チャイコフスキーの内面を知る上で貴重な資料となっています。特にこの交響曲第4番では標題が楽譜ではなくその手紙に書いてあります。その具体的内容については、後述します。
「白樺は野に立てり」
チャイコフスキーは数多くの作品でロシア民謡やそれに準ずる旋律を引用しました。この交響曲第4番においては、第4楽章にて「白樺は野に立てり(Во поле берёза стояла)」という民謡から旋律が引用されています。
歌詞はさまざまなヴァージョンが存在しますが、最も一般的なものとしては、白樺の木からグドークという中世ロシアの弦楽器を作るものです。この部分だけを見ると一般的な民謡なのですが、その先の歌詞を見ていくと、老いぼれた旦那をぞんざいな態度で家から追い出し、若い愛人を連れ込む様子が描かれています。おそらく、主人公である女性は結婚生活が上手くいっていないのでしょう。結婚に失敗した作曲当時のチャイコフスキーの状態と共通項を見出さずにはいられません。果たして意図された引用なのでしょうか……?
各楽章について
第1楽章
Andante sostenuto – Moderato con anima – Moderato assai, quasi andante – Allegro vivo ヘ短調 3/4拍子 – 9/8拍子 序奏付きソナタ形式
チャイコフスキーはフォン・メック夫人への手紙で、各楽章にて意図されたことを記載しています。
私たちの交響曲が標題性を持っています。と言うのは、この内容は言葉で言い表すことができるのです。それで私は、あなたに――そうしてあなたにだけ――この全曲と各楽章の意味を言おうと思います。もちろん大体について言えるというだけなのですけれど。序奏はこの交響曲全体の中核、精髄、主想です。(譜例1)これは『運命』です。すなわち、幸福への追求が目的を貫くことを妨げ、平和と慰安が全うされないことや、空にはいつも雲があることを、嫉妬深く主張している宿命的な力です。頭上にいつも垂れ下がっている『ダモクレスの剣』のように揺れ、魂に絶えず毒を注ぎ込む力です。この力は圧倒的で不敗のものです。ですからこれに服従して、密かに不運をかこつより仕方がありません。(譜例2)絶望は激しくなります。逃避して夢に浸るのが良いでしょう。(譜例3)なんという嬉しさでしょう。甘い柔らかい夢が私を抱きます。明るい世界が私を呼びます。魂は夢の中に浸って憂愁と不快は忘れられます。これが幸福です。しかし夢ではありません。運命は我々を残酷に呼び覚まします。(譜例1)我々の生活は悩ましい現実と、幸福な夢との交錯に過ぎないのです。完全な避難所はありません。人生の波は我々を揉んだのちに我々を呑み込んでしまうのです。
第1楽章は凄烈な主題(譜例1)で幕を開けます。序奏はこの主題のみで構成され、幾度か繰り返されながら鎮まります。なおこの主題は第4楽章のコーダ手前でも登場するため、要注目です。
ソナタ形式の主部には ”In movimento di Valse(ワルツの動きで)” と書かれています。どこか不安で憂鬱さすら感じさせる第1主題(譜例2)はヴァイオリンとチェロによって演奏されます。これは木管楽器によって繰り返され、そのまま符点のリズムを基調に盛り上がります。幾度かの白熱を見たのちに徐々に鎮まり、やがて弦楽器のみが残り、テンポも遅くなります。
その遅くなったテンポの中でクラリネットが、少し気が楽になり戯けた様子の第2主題(譜例3)を変イ短調で提示します。それにフルートが彩りを加えながら音楽が進行し、フルート、ヴァイオリンへと受け継がれます。しかし、そのような雰囲気も長くは続かず、第1主題の素材がそれを遮るようにヴァイオリンによって奏されます。それでも木管楽器は第2主題でそれに対抗するのですが、最終的には負けてしまい、序奏での凄烈な主題が登場すると第1主題の支配する展開部に入ります。
再現部では第2主題がニ短調になっっており、ファゴットによって提示されます。コーダでは以前よりも急激にテンポが上がり、第1主題と序奏の要素が嵐のように登場し、そのまま終わります。
第2楽章
Andantino in modo di canzona – Più mosso 変ロ長調 2/4拍子 複合三部形式
第2楽章は悲哀の他の一面を示します。ここに表されるのは仕事に疲れ果てた者が、夜半ただひとり家の中に座っている時彼を包む憂鬱な感情です。読もうと思って持ち出した本は彼の手から滑り落ちて、多くの思い出が湧いてきます。こんなにも多くのいろいろなことが、みんな過ぎてしまった、去ってしまったというのは、なんというのに悲しさでしょう。それでも昔を思うのは楽しいことです。私達は過去を嘆き懐かしみますけれど、新しい生き方を始めるだけど勇気も意志もありません。私達は生活に疲れ果てたのです。
第1楽章とは打って変わり、憂鬱でとても寂しげな楽章です。悲哀な主旋律(譜例4)はオーボエが弦楽器のピッツィカートに伴われながら奏でます。副次旋律(譜例5)も挟みながら主旋律はさまざまな楽器に受け継がれ、幾度も繰り返されます。
やがて盛り上がりが落ち着くとヘ長調の中間部(譜例6)に到達します。
中間部では一転して明るくなり、三連符に伴われたこの曲最大のクライマックスへと到達しますが、すぐに萎んでしまい、再び憂鬱な主部に回帰します。回帰した主部では今度はヴァイオリンから主旋律が始まり、また幾度も繰り返されます。その繰り返しのうちに音楽が収束し、消え入るように楽章は終わります。
第3楽章
Scherzo: pizzicato ostinato. Allegro – Meno mosso ヘ長調 2/4拍子 三部形式
第3楽章には、これといってはっきりした情緒も確定的な表出もありません。ここにあるのは気まぐれな唐草模様です。我々が酒を飲んでいささか酩酊した時に我々の脳裏に滑り込んでくるぼんやりとした姿です。その気分は陽気になったり悲嘆に満ちたりクルクルと変わります。とりとめもないことを考えており、空想を勝手気ままに走らせると、素晴らしい線の交錯による画面が楽しめます。たちまちこの空想の中に、酔っ払いの百姓と泥臭い唄との画面が飛び込んできます。遠くから軍楽隊の奏楽して通る響きが聞こえます。これらはみんな、眠る人の頭の中を行き交うバラバラな絵なのです。現実とは、なんの関係もありません。それらは訳のわからぬ混乱した出鱈目です。
第3楽章では主部は弦楽器のみ、中間部は管楽器のみが演奏する珍しい構成となっています。主部の弦楽器はピッツィカートのみである点も特異でしょう。主旋律(譜例7)に始まり、盛り上がりを見せながら中間部へと入ります。中間部は信号ラッパのようなオーボエのラの音がきっかけとなって始まり、木管楽器による農民の舞曲のような旋律(譜例8)が奏でられます。そこで遅くなったテンポが元のテンポに戻ると金管楽器が行進曲のように加わり、先程の舞曲のような旋律がその上から重ねられたのちに、再び弦楽器が登場して主部へと戻ります。
コーダはこれまでの要素が断片的に再登場しながら組み合わさり白熱しますが、急激に音量を落とし、これまでの出来事が邯鄲の夢であったかのように消え入るように終わります。
第4楽章
Finale: Allegro con fuoco ヘ長調 4/4拍子 自由なロンド形式
第4楽章。あなたが自分自身の中に歓喜を見出せなかったら、あたりを見渡すが良い。人々の中に入っていくが良い。人々がどんなに生を楽しみ、歓楽に身を打ち込むかを見るが良い。民衆の祭りの日の描写。人々の幸福の姿を見て、我々が己を忘れるか忘れないかの時、不敗の運命は再び我々の前に現れてその存在を思い起こさせる。人の子らは我々に関心を持たない。彼らは我々を顧みもせず、また我々が寂しく悲しいのを見ないがために足を止めようともしない。なんと彼らは愉快そうで嬉しそうであることか。彼らの感情は無邪気で単純なのだ。それでもあなたは『世は悲哀に沈んでいる』と言うだろうか。幸福は、単純素朴な幸福は、なお、存在する。人々の幸福を喜びなさい、そうすればあなたはなお生きて行かれる。
第4楽章は、全合奏で強烈なロンド主題(譜例9)の提示で幕を開けます。それに続くのはロシア民謡「白樺は野に立てり」から引用された主題(譜例10)です。これらの主題は幾度も表情を変えながら演奏されます。幾度目かの白熱が終わると突然思い出されたかのように第1楽章で登場した凄烈な主題(譜例1)が再登場します。しかし、今度はその運命の啓示を跳ね除け、再び活気を取り戻します。それに始まるコーダではこれまでよりもさらなる白熱を見せ、運命との闘争への勝利を祝福するようなお祭り騒ぎの中で全曲が締めくくられます。その様子はまさに「人間讃歌」という言葉が相応しいでしょう。
名盤・名演奏
筆者は以下の2つの録音を名演奏としてお勧めします。
・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 (1957)
ソ連を代表する巨匠ムラヴィンスキーと手兵レニングラード・フィル(現サンクトペテルブルク・フィル)との録音です。そのテンポの速さ、広いダイナミクスレンジ、そして一糸乱れぬアンサンブルはただただ素晴らしいです。チャイコフスキーの4番は数多くの指揮者が録音を残していますが、それらの中でも白眉でしょう。
・スヴェトラーノフ/ソ連国立交響楽団 (1990) (EXTON)
ムラヴィンスキーより少し後に生まれ、常に譜面台に赤い扇風機を付けていたことで有名な名指揮者スヴェトラーノフと手兵ソ連国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)の演奏です。なおスヴェトラーノフはかなり来日回数の多い指揮者で、1990年代にはNHK交響楽団にたびたび客演していました。そのような彼の7度目の来日、東京にて3夜に渡るチャイコフスキー交響曲チクルスでのライブ録音です。もちろんライブゆえにアンサンブルの出来などの面ではムラヴィンスキーの録音に劣後しますが、情動性や迫力などではむしろ圧倒しています。
(文責 Vn.4 S.M.)