ワセオケ クラシック風説書:vol.1
ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調作品21
ベートーヴェンの交響曲
ベートーヴェンは、交響曲というジャンルを生涯を通して最重視しました。ハイドンは104、モーツァルトは41の交響曲を書きましたがベートーヴェンは9つしか残していません。1つひとつに全身全霊をかけ作曲したことが窺えます。実際どれをとっても素晴らしい傑作です。この9という数字は後世に大きな影響を与え、多くの作曲家が「9個交響曲を書くと死ぬ」というジンクスを恐れたのは有名です。
作曲の経緯
そんな彼が最初の交響曲に取りかかったのは1799年(29歳)のことでした。1792年に故郷ボンから楽都ウィーンへ移住し、誰からも雇われないフリーランスの音楽家として作曲活動を本格的に開始しました。それから7年、ピアノ曲や弦楽四重奏曲の作曲で十分に力をつけたベートーヴェンは、満を持して「交響曲第1番ハ長調」の作曲を始めたのです。この曲には、今までにはない斬新さを見ることができます。特筆すべき彼独自の新しさは2つあります。1つは第1楽章冒頭、もう1つは第3楽章です。
カール・トラウゴット・リーデルによる肖像画(1801)
型破りな和音
まず第1楽章冒頭ですが、いきなり個性的な和音が鳴り響きます。この曲はハ長調なのにヘ長調の和音が使われているのです。これは「曲の最初の和音はその調性の和音である」という当時の伝統を打ち破るもので、人々に衝撃を与えました。最初の交響曲の最初から革新的なことをベートーヴェンはやってのけたわけです。その後も調性が不安定のまま、次第にハ長調へと移っていくというプロセスも当時としては全く新しいものでした。主部では力強く明朗な旋律が歌われます。
踊れないメヌエット
緩徐楽章である第2楽章を経て第3楽章へ。楽譜にはメヌエットと書いてありますが、極めて速いテンポが指定されています。メヌエットは舞曲、つまりゆったり踊るための曲なので、この場合だと「踊れないメヌエット」になってしまいます。しかしベートーヴェンにとってこれは計算済みだったのです。
市民が主人公の音楽
1789年のフランス革命で封建社会が幕を閉じ、市民中心の社会が形成されました。音楽も貴族だけのものだったのが市民にも広がりました。当時18歳のベートーヴェンは革命に熱狂し、自由・平等というメッセージを曲に込めようとしました。つまり貴族が優雅に踊るメヌエットの時代は終わった、これからは市民のための音楽を書くべきだと彼は考えたんです。その結果できたのがこの楽章です。第2番以降の交響曲で用いられる「スケルツォ」を予兆させるような躍動感がみられます。
その後活気溢れる第4楽章があり、華やかに曲は終わります。皆さんもベートーヴェンが考え出した新しいアイデアに注目しながら是非聴いてみてください。
おすすめ音源
レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1978 Live)
Spotify: (トラック番号1-4)
https://open.spotify.com/album/57LYruZdXxFtpTcdcrnMJJ
Apple Music: (トラック番号1-4)
https://music.apple.com/jp/album/the-leonard-bernstein-collection-vol-1-pt-1/145269543
(Pc.3 鈴木健士郎)